【北極流実践】一日一生 その①

 

 
こんにちは。ゆうすけです。
 
 
 
今回のお話は、ひじょ〜に深いテーマになってます。でも、ひじょ〜に大事。
 
北極流でも、表向きではあまり語られることのない内容で、
割とクローズドなところで教えてもらうテーマになっています。
 
ですが、現代を生きる我々にとっては非常に重要なテーマだと思うし
このテーマと向き合うか否かによって、その人の今後の人生がどれだけ輝くか?が決まってくると思うので
絶対取り上げたいなと思ってたお話です。
 
 
『一日一生』
 
 
という考え方について、お話していきます。
 
 
”一日を、生き切る”
 
 
”その日が最期だと思って、生きる”
 
 
”死ぬ気で、生きる”
 
 
これらの精神を持って、自らのテーマと向き合っていく姿勢が
一日一生の教えにつながっていきます。
 
 
このブログ記事をちょっと読んだからって、
身体に染み付くような、、そんなレトルトな教えではありませんが、
自分自身の人生を見つめ直す、一つの小さなキッカケになれば幸いです。
 
 
では、行ってみましょう。
 
 
 

ゆにわで学ぼうと思ったキッカケ

 
 
僕は今、大阪の楠葉という地に住んで、
その地で、「北極流」という教えを、占い、食事、健康、人間関係、仕事・・などあらゆる角度から学ばせていただき
 
それらを実生活で生かしながら、「もっと北極流を広げたい!」「ゆにわのためになりたい!」という思いで命を使っています。
 
 
では、なぜそこまでして”ゆにわを大事にしていたい”と思っているのか?
 
そこには、大きく3つの理由があります。
 
 
 
1つは、”あたたかみ”です。
 
 
あたたかみについては、今回のテーマと若干逸れるので、そこまで深掘りしません。
 
一番わかりやすい例は、「新たな生命が誕生した瞬間に感じる、無償の愛」でしょうか。
(僕は、その瞬間に居合わせたことがないのであくまで想像ですが。)
 
 
 
地位も名誉も
権力も金も
 
美しい容姿も
生まれ持った才能も
 
何もかもを取っ払って、
 
無条件の、愛。
 
 
生きていれば、もうそれでいい。 
 
生まれてきてくれて、本当に、ありがとう。
 
 
生んでくれて、ありがとう。
 
こうして毎日太陽が昇って、五体満足で生きていける・・。
 
本当に、私は、それだけで幸せです。
 
 
 
…といった、無条件(無償)の愛が、ゆにわにはある気がしており、
 
その、愛を探求できる環境があるんじゃないかと思って
楠葉で日々暮らしています。
 
(よくわからない方は、スルーでオッケーです)
 
 
 
2つは、中今の精神です。
 
 
神道(日本古来の宗教観のようなもの)の用語になってくるのですが、
 
 
”全ては、今この瞬間に詰まっている”
 
 
という意味合いです。
 
 
例えば、就職活動をしていると、(したことない人は、想像で聞いていてください)
 
 
将来、どうなりたいのか?
 
自分に適した仕事(業界)って何なのか?
 
これからの人生で、自分は何を成し遂げられるんだろうか??
 
 
みたいなことを、少なからず考えると思います。
 
同時に、こんなことも考えるでしょう。
 
 
将来、大丈夫かな・・。
 
就職できなかったら、どうしよう。食っていけるのかな・・。
 
 
未来に対する、不安だったり、
 
 
今までの人生で、自分何も本気でやってこなかったな・・。
 
みんなみたいに、立派な学生生活送ってこなかったな・・。
 
 
過去に対する、後悔だったり。
 
 
こういった葛藤は、めちゃくちゃ大事だし、
その葛藤を経て、自分自身の思想が出来上がっていくわけですから、
 
決して、否定するわけではないのですが、
 
 
実際問題、こうやってごちゃごちゃ考えてる間って、
 
”現実は”、何も変わらないんですよね。
 
 
現実を変えるのは、行動です。
 
ですが、あれこれ考えていては、
自分自身の取るべきアクションになかなか納得いかなくて
感情に支配されて、踏みとどまってしまいます。
 
 
なので、あえて考えない、というのが
人生においては大事です。
 
それが、中今の精神に繋がってくるんです。
 
 
未来や過去を一旦忘れて、今この瞬間に集中する。
 
 
今できることを、やる。
 
与えられた役割に、全うする。
 
ないものではなく、あるものに目を向ける。
 
目の前のタスクに、無心で取り組む・・。
 
 
そうやって、今この瞬間に集中して取り組むことによって、
 
現実を変えていくことができるわけです。
 
 
 
ゆにわの人達は、この精神性を大事にし、
日々の仕事に打ち込んでいる姿勢が輝いて見えたので
 
憧れ、この人達についていきたい!と思ったのです。
 
 
では最後、3つ目。
 
それが、「一日一生」という考え方なのです。
 
 
1つ目が、始まり
 
2つ目が、今この瞬間
 
 
ならば・・3つ目は、終わりです。
 
 
今回お話したいのは、この、一日一生という考え方。
 
 
一日一生とは、その日一日を、
最期だと思って、生き切る精神。
 
 
そのくらいの覚悟と使命感を持って、
 
日々を切り抜けるということです。
 
 
 
「テーマを持って、生きる」という生き方。
 
 
仏教の教えに、輪廻転成というものがあります。
 
前世〜今世〜来世・・といった感じで、
まるで夜眠りに落ちたら、また明日の朝がやってくるかのように、
今世、寿命を迎えたら、また来世新たな生命となって誕生する・・という考え方です。これを何度も何度も何度も繰り返すことが、輪廻転成の教えにつながってきます。
 
そもそも我々の肉体は魂の乗り物で、今この肉体に宿っている魂は、
前世に成し遂げられなかった思いを、「来世こそ果たす!」といって、今のあなたの肉体に宿っている・・という見方です。
 
ですが、いざ肉体に宿ってしまうと
魂の記憶がどんどん忘れ去られていき、人間の本能や感情に支配されて
 
 
「彼女(彼氏)が欲しい。。この寂しさを埋めてほしい」
 
「お金が欲しい、人生を思い通りにいかせたい」
 
「有名になりたい、多くの人から賞賛されたい」
 
「最強になりたい」
 
 
みたいな感じで、本来魂の次元で思い描いていた理想とは異なる、
 
人間の、俗的な欲望を人生の目的にしてしまう・・、というのが、ある意味人間の性と言えるでしょう。
 
 
・・・少し話が逸れましたね。
 
 
要は、今世において果たしたい目的を果たすために、
 
何回も生死を繰り返して、今この瞬間を我々は生きているわけです。
 
 
では、今世において果たしたい目的とは何なのか?
 
 
それを探求する日々というのが、”道”というものでしょう。
 
 
生きていると、いろんな人に出会い、
いろんなイベントに巻き込まれ、事件に遭遇したり
様々な経験をすることができます。
 
その中で、その瞬間を生きる自分にとっての
 
”最高の選択”を取り続けることによって
 
いつか、自分の生命の使い所がわかるようになって、
最後の瞬間(死)に、「生き切った!」と言えるような人生を送ることができる。
 
それが、使命に生きるということだと思います。
 
 
使命に生きた人は、今世において果たしたかった目的を、
ひとつ、果たすことができたんでしょう。
 
完璧に、100%、果たすことができた!!!なんてことはないにしても、
 
少なからず、使命に気づいて、そのために出来る限りを尽くした…!と言えたならば、
 
来世は、さらに大きな使命を与えられるはずです。
 
 
そうやって、魂は成長し、
この世の中は、どんどん良くなっていくんだと思います。
 
 
 
 
続きます。