コンビニ人間 感想文


コンビニ人間

 

「普通」でいられない人。


本気で生きようと思って、挑戦しては失敗して、成長すればするほど、

普通から離れていくのが、現代社会の構造だと思う。


そして、出る杭は打たれる世の中だ。


人とちょっと違うことを言ったり、行動すると、

同調圧力というものが生まれ、「正しく」あろうとする。


昨今のコロナ騒動における、マスクやお注射はわかりやすい例といえる。


マスクをつけることの是非

お注射をするべきか否か


といった問題に対して、自分の頭で考え、選択して行動していくという人がどれほどいるだろうか。

多くの人は、周りがしているから、そういうものだから・・といった感じで、周囲の作り出した「普通」に合わせて生きようとする。

 

 


〜白羽さんと、古倉さん〜

 

コンビニ人間に登場する2人は、「THE変人」というコンビ名でM1にでも出れるのではないかと感じさせる、変人コンビである。

対して努力もせず、社会に適応できないが故に世の中を見下しつつも、

欲望に素直に生きる中年男性。まるで猿。白羽さん。

「社会から、隠してくれ」

といって、古倉さんの家に居候し、餌を食べながら息をする生活。

普通だったら、「わけわかんない、さっさと出てって!」となるところだが、白羽さんを家に住まわせることで古倉さんにもメリットがある。


”男が家に住むことになった”


という中身のない事実が、アラサー(アラフォー?)女子としての”あるべき姿”と重なり、

大多数の人間からすると、それだけで安心するのだ。

だから、「よかった〜!」「この人も、私達と一緒なんだ。普通に恋愛して、結婚して・・って歳をとっていくんだ!」と言った感じで。

古倉さんとしては、ただただ、コンビニで働きたいだけなのだ。


社会のあるべき姿とか、

普通を押し付けられるのではなく、愚直に目の前の仕事、お客様と向き合い、息していたいだけなのに・・

社会は、結婚とか、就職とか、あれこれ要求してくる。それが、ただただ面倒だった。その面倒から逃れるために、白羽を住ませた。といった話。

 


 


気持ちがわからなくもないな、と感じた。

僕は古倉さんのように、感情に対する捉われがないわけではないので、

大多数側の気持ちもわかるのだが、生きていると、社会と交わっていると、


「勉強してくれよ」


と言いたくなる場面が、多い。


僕は今フリーターとして生計を立てつつ、借金も抱えながら暮らしているが、はたからみたら、


「いつまでもフリーターそして働いてるわけにはいかないんだよ?社会はそんな甘くないんだよ?」


みたく感じるところもあるだろう。


表面的な部分だけをみて判断されても、何も説得力を感じない。


僕がフリーターとして働いているのには、いくつかの複合的な理由が重なっている。

様々な要因が球面体的に交わりあって、今の働き方が生まれているのだ。


様々な要因をもとに、あらゆる可能性を考慮に入れた上で、

人生の道筋を決めていくのが、真っ当に生きるということではないだろうか。


だがそのためには、勉強しなくてはいけない。


そもそも勉強していなくては、どう生き方を選択していけば良いだろうか。

 

だから、僕に生き方のアドバイスをする人に対しては、

「ありがとうございます。」と、感謝しつつ、生き方として参考にしつつも、

全てを受け入れることは、はっきり言ってほとんどない。

的外れな意見をいちいち鵜呑みにしていては、体がいくつあっても足りないからだ。

 

 

 

集合的無意識(大多数の価値観集合体)に呑まれない生き方を目指している。


その意味で、古倉と白羽の生き方は、共感できるところが、ある、、、が


彼らは、とにかく極端なのだ。


特に白羽に関しては、反面教師としてみるしかない。

僕もフリーターとして、こうはなりたくないと、烈々に感じた。

 

だが、古倉の働き方は、神様に近いと感じた。

ある意味、我々人間の底に眠る魂が、求めている理想像とも言えるだろう。


自分の置かれている役割に対して、我を挟まず、無心で取り組む。

人に限らず、万物は常に、「存在意義」を見出したいと思っているのだろう。


モノだったら、モノとしての役割を発揮したいと思ってるし、

言わずもがな、ヒトはヒトとして、己の使命、天命を全うしたいと思っている。


だが、そこに自意識が挟まってくると、

自分が求められているもの、今本当にすべきことが見えなくなっていくものだ。


好きだから・・やる。

得意だから・・やるなど。


もちろん、好きなことをやるのは良いと思うし、得意を生かしていけば良いと思う。


だが、目の前に求められている仕事があるのに、そこから目を背けて我が道を進むのはどうだろうか?とも思う。


なので究極、我を挟まず、目の前のコトに対して自分の全力を尽くすことができるか否かで、その人のレベル感というものが決まってくるのかなと。


コンビニ、というフィールドにおいて求められる理想像を、

古倉は見事に体現していた。


僕もコンビニ店員をしているが、働き方としてまさに模範解答に感じた。

 

古倉は、コンビニ店員として働く限り、

どうしようもなく幸せなんじゃないか、と思う。

 

ある意味僕も、この領域を目指していると言える。

ファーストフード店でのアルバイトをしているが、まるでそのお店と一体になるかのように、のめり込んで働くことができれば・・!と思うようになった。

 

傑作でした。ありがとうございます。

 

 

 

 

 

お笑い芸人になりたい。

どうもこんにちは。

 

常々思っていることなんですが、僕はお笑い芸人になりたいです。

 

キンコンの西野さんが、

 

「本当のお笑い芸人は、普通の人がやらないことをする人だ!」

 

みたいなことを、どっかの本で言っていたような気がするのですが僕も結構定義が似ていて。

存在そのものが面白いというか。近くで見ていたくなるような、そんな男になりたいです。

 

あと、シンプルに話が面白くなりたい。

 

ここでいう面白さっていうのは、「上手いねぇ〜〜!」「おぉ〜〜〜!」みたいな感じじゃなくて、なんかわけわかんないけど面白い、みたいな。

 

低次元なやつです。

 

コウメ太夫っているじゃないですか。あんな感じ。

 

ちゃんちゃらちゃんちゃん〜〜〜♪

ちくしょーーーー!!

 

もう大好きなんですよ。ああいう頭悪〜い感じの笑い。

 

ちょっと何言ってるかわからないけど、なんか面白くて、エネルギー高まるみたいな、そんなオフィシャリティ〜〜〜な話術を磨きたく思ってます。

 

最近youtubeやってるんですけど、実はそんな意図もありまして。

 

 

 

でも、文章も良いですね。やっぱり。

 

たまーにこうやって、タイピング一つでバーーーっと書くの良い。

 

普段の私生活だと、相手の背景とか考えながらあれこれ表現を考えたりしてるんですけど、まぁぶっちゃけこのブログは脳内会話そのものです。

 

 

ていうか、

脳内会話そのものが面白くなるために、

日々修行してるんです。

 

 

もっと挑戦して、失敗して、自分を磨いて、

素で面白い!楽しい!人間になれるよう、精進しまっす!!

 

 

では、皆様良いお笑いライフを〜〜!

 

 

3.無理矢理でも、頑張る

 

そんな、人生、無理する必要はないのかもしれないけど

やっぱり、踏ん張るのって大事だと思う。

 

仕事終わって、ご飯食べて、横になりたいなって時に、

 

踏ん張って、無理矢理でも身体を動かす。。

 

そうすることで、やりたいことができて、

時間を有効活用できる。

 

たとえボロボロでも、

多少踏ん張ることが、大事だなぁって思うんだ。

 

 

さて、明日も、

踏ん張ろう。

2.坦々麺になる

淡々と、物事を、こなしていく。

 

あまり考えずに、やるべきことを、やる。

 

 

これができるようになれば

マジ、人生、楽になる。

 

 

明日も掃除バイトがあってさー

ごちゃごちゃ考えちゃうんだけどさー

 

一ミクロンで良いから

考えずに、坦々麺発動して

仕事したいんだよね。

 

一番良いのは、音楽聴きながらやること

あとはやっぱり、誰かに監視されてること。

 

どっちも無理そうだから

 

想像力と脳内BGM発動して

坦々と、やるぜ

 

 

なぜ、水拭き掃除は究極の習慣なのか?

 
 
こんにちは!ゆうすけです。
 
 
ゆにわ塾といえば・・・
みなさん何を思い浮かべますか??
 
人それぞれ「これ!」ってのがあると思いますが、
今回お話ししたいな〜〜〜ってのは、”掃除”についてです。
 
ゆにわといえば・・掃除!!
というくらい、めちゃくちゃ登場するキーワードですよね。
 
 
 
かくいう僕ですが
 
ゆにわに出会う前までは、掃除の”そ”の字すら縁がないほど
 
徹底的に掃除しない生き物でした。
 
 
ご飯食べて、ボロボロ落としても、拾わない
 
トイレなんて汚いから、見たくもない
 
床武器なんか、小学校の雑巾掛け以来したことない
 
 
・・・と、こんな僕が
 
今では『掃除こそ、長い人生を生き抜く本質や!!』と感じるくらい
 
むっちゃくちゃ大事に感じているのです。(他でもないゆにわのおかげ)
 
 
 
なぜ掃除がそんな大事なのか?
 
 
この問いに対して、ゆにわ塾会員の角度から、
 
お話ししていきたいな〜〜と思います。
 
 
掃除といえば、
 
場のエネルギーを高めて、より生きやすくする〜とか
 
エントロピー(乱雑さ)を下げて、スッキリさせるとか
 
浄化効果がある〜とか、色々とありますが
 
 
今回のお話しは、
 
 
”人生、とは?”
 
”道、とは?”
 
 
みたいな本質的テーマに食い込むような内容なので
 
ぜひ「面白いな〜」と思って聞いていただければと思いまっす!
 
 
 
 

カタチ。

 
我々人間は、何かを学んだり、練習したり、触れたりすると
 
 
『カタチにしたい』
 
 
と、感じるものです。
 
 
カタチとは・・?
 
そこにあるもの、です。
 
 
動画しかり
音楽しかり
この記事しかり
今居る、お店しかり
目の前のスマホしかり
そのお店で出された商品しかり・・
 
 
あらゆるものに言えます。
 
 
例えば僕は今アイスカフェラテを某バーガー屋さんで注文して飲みながら書いてますが
 
アイスカフェラテは、一つのカタチです。
 
 
そしてカタチというのは、
 
元をたどると、、カタチなきものから生まれています。
 
 
 
 
 
イデア、様々な経験、ストーリー、その時の思い、感情、、
 
 
あらゆる見えないものが、
 
現象化したものが、カタチとなって現れている、と。
 
 
どっかの誰かさんが、
 
 
「ミルクと、コーヒーを組み合わせたら、
 
むちゃくちゃ美味しいドリンクできるんじゃね?? 
 
これ、流行らせたら爆儲けじゃね???(グヘヘへへ)」
 
 
みたいなことを思いつき、カタチとなって広がったのが、
 
アイスカフェラテ、という商品な訳です。
 
 
これは商品に限らず、です。
 
 
人と関わる中で、
 
 
 
「あ〜〜〜このこと、相手に伝えたいな!」
 
 
と感じたとする。そしたら、それを”言葉”というカタチを通じて、
 
我々人間は、つたえます。
 
 
もし目の前にその相手がいるなら、
 
口頭で伝えれば良い。
 
 
でももし、いなかったら??
 
 
今は便利な世の中ですから、
 
LINEのメッセージで伝えても良いかもしれない。
 
もしくは、ブログに書いても良いかもしれない・・・
 
 
まぁ何かしらの表現手段を通じて、カタチにして、伝えますよね。
 
 
 
 
これが、前提のお話です。
 
 
 
 
 
ここまで聞いて
 
 
 
 
・・・えーーーと、何が言いたいの??
 
掃除の話じゃなかったっけ?
 
 
 
と、感じたあなた。鋭い。
 
 
もうちょっと待ってくださいね。もうすぐ繋がりますから!
 
 
 
 
 
 
 
つまり、カタチあるものというのは、
 
常に、”それ以前の領域(見えない次元)”があるんです。
 
 
 
それを人は
 
 
”原因”
 
 
と、呼びます。
 
 
 
そして、この、原因というのが厄介でして・・
 
 
 
多くの思想家、哲学者、研究家、
 
就活生、経営者、政治家、、、、
 
 
まぁ、人類ぜんたいを悩ませる大きなテーマを抱え込んでいるのです。
 
 
どういうことかというと
 
 
 
原因、というのは、
 
 
究極、わからないのです。
(人知を超えたところにある・・とでも言いましょうか)
 
 
 
例えば、人は”なぜ”生まれてきたのか??
 
これ、わからないっすよね。
 
 
なぜ、地球があるのか
 
なぜ、空気があるのか
 
 
 
 
なぜ、この人と出会ったのか?
 
 
 
我々の生きる社会というのは、この、なぜ?という問いを持てば持つほど、
 
よくわからないのです。わからなすぎるのです。
 
 
だから、我々は悩みます。
 
 
だって、わかりそうじゃないですか!!
 
 
今地球に住んでるし、空気がある。息をしている。いきている!!!
 
クッソ当たり前に、この肉体を感じるし、好きな人、嫌いな人と一緒に働いたり会話したりしています。
 
 
でも、わからないんです。なぜ、生まれてきたのか?
 
息をしてるのか?地球に生まれたのか?
 
 
 
 
 
なので、我々は、信じるという力を手に入れました。
 
信じるとは、なぜの超越です。原因すっ飛ばしの術、です。
 
 
なぜ生まれてきたのか??がわからなくて、ぐるぐる考え続けると、
 
だんだん、「自分なんて生まれてきた意味(原因)ないんだ・・」ってなって、
 
死にたくなったりします。
 
 
そこで、
 
 
「私は、このために生まれてきたに違いない!そう信じよう!」
 
 
と、覚悟することができたら、原因探しのループから抜け出せます。
 
 
 
だから、
 
 
人は、信仰するんです。
 
 
 
神様という人知を超えた存在を、信仰するんです。
 
 
 
 
 
 

信じる

 
 
 
人生のポイントは、
 
いかに、信じるか、だと思います。
 
 
何か選択すべき時に、いかに信じれるか・・
 
 
その、覚悟、信仰心の強さが、
 
そのひとの物語を輝きあるものにすると思います。
 
 
 
 
そして、信じるというのは、
 
理屈を飛び越えた次元で行うものです。
 
 
理屈とは、頭で行うもの。
 
 
頭を使って、原因探ししている間は、
 
頭重心になっているはず。
 
 
でも、頭でいくら考えても、
 
本当に大事なものは、つかめません。
 
 
本当に大事なものは、
 
 
・理解できない場所
 
・カタチ以前の領域
 
・人知を超えた場所
 
 
・・・にあるからです。
 
 
その正体が一体なんなのかは、わかりません。
 
てかわかった時点で、それは偽物であることのが多いでしょう。
 
 
 
でも、人はついつい、考えてしまう・・・
 
 
正体探しをしてしまう・・正解探しをしてしまうもの・・。
 
 
 
 
 
 
だから、
 
 
掃除をするんです。
 
 
 
 

頭重心な現代人

 
 
 
頭でいくら考えても、正解なんて見つからない。
 
もし正解を見つけたとしても、
 
その正解に、問いを投げかけたら、さらにレベルアップして立ち塞がってくる。
 
 
終わりなきラットレースが待っている・・というわけです。
 
 
 
考えないで、目の前にあるものに集中して
 
そこに意識を向けて、やることをしてたら
 
自然と、”問いなき世界”に没入できるはずです。
 
 
 
それが
 
仏教でいう、”一切皆空(いっさいかいくう)”の世界かもしれません。
 
 
(あらゆる現象や存在には実態がない、、ということ)
 
 
曇りなき、真っさらな空のように
 
悩みむことも、考えることもなく、ただただひたすら目の前に集中する。
 
 
その境地こそが、
 
”道”というものではないではないか。と、思うわけです。
 
 
そして、
 
ひたすら、道を歩み続けることこそが、
 
真に幸せな人生を歩む、至高の手段だと思います。
 
 
 
 

この世界、とは?

 
 
 
今我々の目の前に広がってる世界は
 
先人達の、カタチの集積です。
 
 
家、ビル、神社、自然
 
車、道路、信号、お店、、
 
 
あらゆるものは、先人達(神様)がつくりあげた
 
カタチです。それが広がっています。
 
 
この広い地球の中で
 
僕の生命にできる最大限を使って、
 
カタチを作り、残すことが、
 
 
生まれてきた、意味だと思ってます。
(無論、正解はわかりませんが)
 
 
 
でも、どうやってカタチを作れば良いかなんてわからないし
 
そもそもなんのためにカタチを作るのかもわからない。
 
 
だからこそ、人と人は出会うんだと思います。
 
 
出会って、
 
 
そのご縁によって、
 
 
”仕合わせ”という、一つのカタチが生まれるんだと思います。
 
 
そうやって、先祖代々、仕合わせを紡ぎ合わせていった先に・・・・
 
 
きっとまだ見たことない景色が広がってるんだと思います★
 
 
 
 
 
頭でごちゃごちゃ考えてるうちは
 
そういった、仕合わせに繋がるご縁も見逃してしまうと思うんです。
 
 
損得で人との関わりを判断したり
 
自分の都合の良いように人を誘導したり・・・
 
 
そういう人とは、なかなか良い付き合いできないですよね。
 
 
 
でも結局、そういう人としか出会えないのは、
 
”自分自身が、そういう人だから”です。
 
 
 
なので、そういう頭重心な人から抜け出すためにも
 
第一歩として
 
 
下半身重心になる、
 
床にひざまづきながらの水拭きが大事になってくる・・という話でした!!
 
 
 
水拭きしているうちに
 
汚れを無我夢中でとっているうちに
 
 
自然と、頭でごちゃごちゃ考えなくなって、
 
その姿勢が、仕事、人との会話、勉強・・あらゆる場面における”全集中!!”につながってくると思います!!
 
 
 
 
と、いうわけで、
水拭きの素晴らしさを伝える回でした。
 
 
本日も
ありがとうございます。
 
 
 
 
 
 
この記事を読んでいるあなたの心が
 
明るくなり
熱くなり
元気になり
 
パーッと輝き
 
今やりたいこと、やるべきことが自然と湧いてきて、、
 
つまらない日常が、「あれ?案外おもしろいかもっ」って、
 
どんどんポジティブに・・
 
変わりました。
 
 
そしてそんなあなたと関わる人も、その光を受け取り、
 
光のかけらが、次々受け継がれて・・
 
気づいたら、世界中に広がっていました。
 
 
ありがとうございます。
 
 
 
 
 
 
 
 

【北極流実践】一日一生 その③

 
こんにちは。ゆうすけです。
 
今日は、一日一生について、その③(最終回)です。
 
 
非常に深い内容ですが、
「死生観」は、あらゆる宗教の根本思想につながりますし
ぼーっと生きてるとついつい忘れてしまう、「死」と向き合う重要な考えです。
 
 
その日一日を生き切る。
 
言葉でいうのは簡単だけど
実際やると難しい・・そんなテーマについて、語っていきますね。
 
 
▼前回の記事を読んでない方はこちらから
 
 
 
 
 

その人の生き様とは、死に様に現れる

 
 
ではここからは僕が実践している「一日一生の生き方」についてお話ししていきます。
 
再三お伝えしているように、一日一生って具体的に「これをする」といったものではなくて、
 
どう一日を過ごすか?っていう、”姿勢”のことなので
 
日々を「死ぬ気で生きよう」と決めて、それを愚直にやってたら一日一生になるっていう・・ただそれだけのお話です。
 
 
とはいえ、それだけだとなかなかイメージ湧きにくいと思うので
ちょっと口亜的にお話ししていきますね。
 
 

後回し癖をできるだけなくす

 
 
今日これやろう!!
 
と決めていたものの、すっかり忘れていたり、面倒臭くなって「今日はいいや・・」ってなったりするものです。
人間って弱い生き物ですよね。
 
 
ですが、まぁ、皆さんもたくさん経験あると思うんですけど
 
後回しにしたら、結局後悔するじゃないですか。
 
 
仕事にしても、日常の手続き形にしても・・
 
後回しにして、あとあと気づいたら、期限切れていたりとか
すっかり忘れてて、誰かに迷惑かけてしまったりとか・・。
 
もう数え切れないほど、あるんですけど。。
 
 
ちょっと想像してみて欲しいんですけど、
 
死ぬ直前に見る走馬灯で、その、後回しにしてた公共料金の支払いのことを思い出して、
 
「あ〜そういえば支払ってないや〜〜」
 
って後悔する人生ってどうですか?絶対嫌じゃないですか?笑
 
 
結局、死ぬ瞬間に、何か後悔するものを持ちたくないわけです。
 
一日一生の考えでいうと、
後回しは、ひじょ〜に良くない。
 
 
だから、持ち込まないように
出来る限り、その日のことはその日中に終わらすようにしてます。
 
 
 
今日やろう!と決めたことは、なんとかしてやる。
 
 
そういう思いで、日々生きてます。
 
 
(・・・と、口で言うのは簡単だけど、実際やるってなると、ね。笑)
 
 

一期一会の精神

 
 
今日のこの瞬間を逃したら、もう二度とない・・・。
 
 
と思って、目の前に流れる波に乗っかる。この波乗り精神は日々心掛けています。
 
 
”一生に一度しか、この機会は訪れない”
 
 
ということを心して、目の前の人と向き合う姿勢というのが、一期一会です。
 
 
「目の前の人に、これだけは絶対伝えないと・・。でも、勇気いるしな・・。」
 
といった瞬間があった時に、結構やりがちなのが
 
「まぁ、またいつか機会あるっしょ」
 
といって、今この瞬間向き合おうとしないやつ。
 
 
ゆにわの学びを受けて・・というわけではありませんが、、
 
 
 
学生時代、僕はかな〜り女の子に告白をしては振られ、しては振られ・・という青春時代を紡いできました。
 
最初に告白したのは高校2年生の時。
 
当時のクラスで、席が後ろだったYちゃんのことが好きで好きで・・もう四六時中そのことばかり考えていました。
 
 
Yちゃんは、暇があると急にLINEをしてきて、
「ひま」と言ってきたり、スタンプだけ送る、みたいなことしてきます。
 
あと、席が後ろだったので
勉強わからないことがあると、シャーペンで背中をツンツンってしてくるんです。
 
んで振り向くと、Yちゃんとの会話が始まります。
 
 
これが、もう、当時の僕にとって、
最高に掛け替えのない、人生で一番楽しい時間でした。
 
 
お互いに、「バーカ」って言い合うみたいな、
下げつらう関係?だったのですが、
その感じも、たまらなく楽しくて、
 
もう、好きで好きで仕方なかったのを覚えています。
 
 
というわけで、人生で初めて告白をしました。
 
当時の友達に、「告白しろよ」って言われて
色々セッティングを助けてくれて
 
学校の最寄駅に呼んで、むっちゃくちゃ緊張したのですが、
 
「好きなんだ。付き合って欲しい」
 
と、告白をしました。
 
 
 
・・・
 
 
 
振られました。
 
あの後、コンビニでアイスを買って、
帰り道に頬張りながら、途方に暮れながら、電車に乗っていたのを
今も鮮明に覚えています。
 
 
告白する直前の、あの、
 
ものすんごい緊迫感といいますか・・。
 
 
「今言わなかったら、一生言えない!」
 
「何としても、今!言うんだ!」
 
 
みたいな、感覚というのは、一期一会の精神に近いんじゃないかなと思います。
 
 
あの時振られた経験があって、
今では、そういった、「今、言わなきゃ・・!」といった境地に立たされた時に
勇気を持って踏み出せる心が育ったと思うので
 
Yちゃんには、ほんと感謝しています。
 
 
そして、そういった勇気ある選択を積み重ねることが、
 
一日一生の道に近づいていくのではないか、と思います。
 
 
良くも悪くも、人生は”出会い”で決まると思います。
 
 
人と出会って、未来が、変わる。
 
 
だから、今ある出会いを大事にし、
ちゃんと向き合い、伝えるべき時は、伝える。
 
 
そういう姿勢を持つことを、結構心掛けています。
 
 
 

より次元を上げていくには・・?

 
 
ここまで色々話してきたんですが
結局、一日一生で生きるうえで重要なのって
 
「自分自身の枠を取っ払うこと」
 
何ですよね。
 
 
僕が今やってるのは、毎晩ノートに、
 
 
 
・昨日立てた目標に対する振り返り
 
・その日やったこと
 
・そこから得た気づきや学び
 
・その学びを明日どう生かすか
 
・明日の目標

 

 
 
 
これらを書く・・という習慣です。
 
その日のテーマを、仕事や家事を通じて拾っていき、
夜に振り返って、「今日はこれがテーマだったな!」と感じ、それを振り返る。
 
 
そういう習慣です。
 
 
でもこれって、結局自分の枠内で完結するものなんですよね。
 
だって、自分が経験した出来事から、自分の感覚を振り返って、自分なりの目標を立てるだけですもの。
 
これじゃあ、なかなか成長しないです。
 
 
成長に必要なのは、自分より高い視点。
 
 
そこで活用するのが、ゆにわ塾なんです。
 
ゆにわ塾のコンテンツを活用しながら、自分より遥かに高い次元で日々仕事をされている方々の感覚を、自分にうつしていく・・ということをしています。
 
 
(ごめんなさい、詳しいことはここでは書けないです。)
 
 
自分自身の経験から振り返るのですが、
 
その振り返りと、ゆにわ塾で教わってる内容を照らし合わせる・・ということを毎日しています。
 
 
そうすることで、今日はどれだけゆにわの学びを実践し、北極流を体現するために一日を使うことができたか??ということがわかります。
 
 
僕にとっての一日一生は、
ゆにわ塾とセットです。
 
 
 
 
 

一日一生

 
 
その日を、死ぬ気で生き切る・・という精神は
 
古くからある、武士道精神とも通じますし
日本人特有の考え方・・とも言えます。
 
 
こういった思いを持って生きていると、
 
普通になんとなく生きてる人とは比べ物にならないくらいのスピードで、
 
成長し、悟りに達し、
成果を上げることができると言えるでしょう。
 
 
もし今日病院に行って、「余命半年です」と言われたらどうですか?
 
「最悪だ、人生終わりだ・・」
 
といった絶望して寝たきりになる方もいるかもしれませんが、
 
一方で、「残りの人生、精一杯生き切ろう・・!」といって、今までで一番本気で目の前のテーマと向き合うようになる方もいるかもしれません。
 
 
そうなんです。人は「死」を意識すると、
ものすごいエネルギーを短期間で発揮するんです。
 
 
夏休みの宿題も、ギリギリになると急に一生懸命やり出すでしょう?それと同じです。
 
 
終わりを意識すると、
人は”本気”になれます。
 
 
 
毎日を、本気で生きる。
 
 
 
そういう姿勢を、ぜひあなたも
今日、持ってみてください。
 
 
僕もまだまだ未熟者ですが、
精一杯、今日を生き切ります。
 
 
 
では、本日はお読みいただき、ありがとうございました。
 
 
 
この記事を読んでくださったあなたに、
 
 
明るく、笑顔で、輝かしい未来が訪れますように。
 
 
 
 
 
 

【北極流実践】一日一生 その②

 
 
こんにちは。ゆうすけです。
 
今回は、前回に引き続き一日一生についてです。
 
その②。
 
まだみてないって方は、ぜひこちらの記事からご覧ください!
 
 
 
 
 
 では、続き行きますね。
 
 
 
今世において果たしたい目的(=テーマ)を果たすために、
我々は、命を授かった・・と見立てると
 
 
今日という一日は、
その目的を果たすための、一部であると言えます。
 
もし80年生きるなら、
 
365×80= 29,200
 
 
 
約30,000日という日数が我々には与えられていて、
 
そのうちの1つが、今日という掛け替えのない一日な訳です。
 
 
イメージ湧きにくい人のためにお話しすると、
 
 
 
30000という数字は、
 
 
 
60分(1時間)×24時間(1日)×21日(3週間分)=約30000
 
 
です。
 
 
つまり、3週間というスパンにおける、”1分”が、
 
80年における、1日・・というわけです。
 
 
 
少し、1日という時間に対する捉え方が変わったでしょうか?
 
あなたの心に、1日は、ものすごく貴重な財産であるという意識が芽生えていたら、幸いです。
 
 
 
我々は、この与えられた生命を使って、寿命が尽きるまでに
 
出来るかぎりを尽くして、魂の目的を果たしたいわけなんですが・・・
 
 
 
逆にいうと、神様ってすごく器が大きくて、
 
なんと30000回も、目的を果たすチャンスを与えてくださっているとも言えます。
 
 
 
30000回の間に、日々修行をし、己を高め、
 
成長し、自分自身の「生まれてきた目的」を探求し、
 
その目的に沿った一日をおくる。
 
 
その姿勢が大事なんだと思います。
 
 
 
 
これが、一日一生です。
 
 
 
 

自分自身の歴史を振り返る

 
 
一日一生とは、その人の”死生観”とも言えます。
 
 
あなた自身の死生観を見つめ直す上で、ぜひやって欲しいものがありますので
それをちょっと紹介しますね。
 
 
人生曲線
 
 
です。
 
 

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こんな感じで、生まれた瞬間から現在までをグラフにして
 
+軸、ー軸で波を書いていって欲しいです。
 
 
その時のあなたの感情や思いを思い出して、
 
どん底の経験や、有頂天の経験なんかを、色々書き込んでいってください。
 
 
 
一旦書くだけでも、自分自身の人生をひとつの流れ(ストーリー)としてみることができて、
 
かなり、自分気づくことがあるんじゃないかと思います。
 
 
んで、今回注目して欲しいのは
 
そのイベント毎に潜んでいた、”テーマ”です。
 
 
テーマというのは、目的と言い換えることもできます。
 
 
もし神様がいるのなら、どうして神様は、あなたにそのイベントをさせたのか?
 
必ず、意味があります。その意味を、自らキャッチするのとしないのでは、その人の人生の濃密さに雲泥の差が出ますので、ちゃんと向き合ってみてください。
 
 
僕も日々、これやってます。
 
 
今までの歴史(自分自身の)を振り返って、
 
 
 
あの時はこんなことがあった、きっと、こういうことを学ぶためにあったんだろうな。。
 
あの時、もっとこうしておけばよかったな。。次は、こうしよ!
 
 
みたいなことを考えながら、定期的に振り返ってます。
 
 
(ちなみに、そのためのツールとして、ブログを使ってます)
 
 
 
ワンピースとかでいうと、
 
魚人島編とか、アラバスタ編とか、空島編・・とか、その時々によってテーマが変わっていきますよね。
 
我々の生きる一生も同じです。その時々のテーマがあって、それを果たさせるために、シナリオライター(神様)は、様々な人との出会いや場所(環境)を与えてくれています。
 
 
今までの歴史を振り返った時に、ちゃんとテーマと向き合っていたか?もみて欲しいんですが、
 
向き合えていなかったんなら、いちいち後悔するんじゃなくて「じゃあ今後はどうするか?」を考えるようにしてくださいね。
 
そして、何より大事なのは、
 
「今のテーマ」
 
がなんなのかを自らキャッチして、それを果たすために
 
「今日をどう過ごすか」
 
を考え
 
「今この瞬間何を選択し、どう行動するか」
 
を決めることです。
 
 
僕は昔から、「自分のことばっか考えて行動する」という悪い癖がありました。
 
周りのことを考えず、自分の好きなことばかりやり、思い通りにいかないとイライラして、人に迷惑をかける・・ということがしょっちゅう起こってます。
 
 
もっと、全体を見て
目の前の人のために、一緒にいる人、関わる人の役に立てるような人間になりたい!!
と思っています。
 
だってそういう男の方が、カッコいいじゃないですか。
 
 
 
だから、こうしてブログ記事を書くときも
 
 
「自己満足で書いていないか?」
 
「自分の書きたいことをずらずら書くだけになっていないか?」
 
 
と、問いかけながら書いてるんです。
(実際、まだまだですけどね・・w)
 
 
 
今までの選択の積み重ねが、
今のあなたを作っています。
 
 
今までテーマと向き合ってきた人は、
更に難易度の高いテーマを与えられて、そこに立ち向かう試練が与えられます。
 
 
逆に、向き合わずに逃げてきた人は、
10年前、20年前と、全く同じテーマで止まってるかもしれません。
 
 
一日一生とは、
今日という一日を、テーマと向き合い、
それを乗り越えるためのプロセスとして、捉えることです。